2019/05/19
先日も、地域で高齢者の方が、自損の自動車事故をされた。
今回は、田舎で新たな人々を定住する意義について述べてみたい。
自損事故の理由は、農作業で移動中での普段使っている道であったが、普段と駐車場が違い、ハンドル操作を誤っての転倒事故だった。
幸い発見されたのが、転倒してから2時間だったこと、
転落した場所が柔らかな田んぼでスピードを出していなかったことなどの好条件が重なったので大きな事故には、
いたらず1晩入院し、翌々日からは、また農作業をされているのが不幸中の幸い。
田舎で1人作業で亡くなるケースは深刻
私自身、大長谷を含めて2地域居住から移住定住15年目になるが、本当に高齢者の事故は切なく少なくない。
私が知っている過去の事故も今回と同じように1人作業により、亡くなった事故を体験してきた。
・普段乗っていた計四自動車が、ミッションだったが、車検での代車がオートマ車であり、アクセルとブレーキを間違えての転落、死亡事故。
・杉の管理のために、杉の枝打ち作業を単独で行っていた。安全帯を付けていたが、何等かの拍子で足を滑らせる、早期発見が出来ずに圧迫死。
・日中にも関わらず、逃げ遅れて火事で死亡。近隣に家がなかったので、火が出たことに周囲が気付くのが遅れた。
・夏場の草刈り作業中、熱中症と脳出血により倒れ、早期発見が出来ずに死亡。
どの事故も一人・単独行動で起こったこと。
もしかしたら、誰か傍にいたら、防げたのかもしれない。
これは、中山間地域に限らず、街中でも独居老人が増え周囲に話す人がいなかったり、サポート支援してくれる人がいなかったりする場合に同じようなことが言える。
このような事故を未然に防ぐ手法として、若い人たちが多く地域に存在するような環境になれれば高齢者の事故死亡率は低くなるのかもしれない。
全国では、新潟県十日町市や岡山県美作市などでは、地域おこし協力隊が退任後もそのまま地域で1次産業を含めた百商(農業以外の仕事を複数持つこと)を行いながら、持続可能な地域づくりを目指している。
先駆的地域づくり現地調査(番外編)【美作市・英田上山棚田団】/blog/15636
地域で事務的作業を熟せる集落支援員
では、地域おこし協力隊以前のスキルがない場合、地域おこし協力隊として地域に馴染めた場合で地域に暮らしていくための手法として、国の施策の1つとして集落支援員がある。
地域おこし協力隊の年間支払い額は、400万円だが、活動経費を含んでの総額。
しかし、富山県内では活動経費を支払わず地域おこし協力隊への支払いが給与200万円程度の場合が多い。
集落支援員の年間支払い額は350万円であるから、地域おこし協力隊着任時に額より少ないように見えるが、
県内の地域おこし協力隊の支払い額の実態から鑑みると多くなる場合も少なくない。
田舎で、畑や田んぼで自らの食べるものをある程度賄うことが出来れば、年収350万円あれば、都会での年収よりも多い計算になる。
詳しくは、下記blog
東京の1/51の安さで暮らせる氷見市/東京、大阪市、氷見市(田舎)で生活・年収・土地価格を比べてみた/blog/17427
しかし、今富山県での地域おこし協力隊で、地域に密着し、地域づくり、特に行政関係の資料を作成できる協力隊は、ゼロ。
また、集落支援員制度で、専門的に配置している富山県内の集落支援員は、ゼロ(2017年調べ)。集落支援員を採用していない県は、本当に少ない。
総務省調べ>集落支援員の活躍先 http://www.soumu.go.jp/main_content/000618038.pdf
富山県内では、区長が兼任し、区長の活動財源になっているケースが多く、新たなる人材を登用しながら地域活性化を疎外している。
ちなみに、島根県では、集落支援員の数は121名。全国で1番活用されている。
中山間地域維持の必要性
私が、都市農村交流を意識し始めたころは、若者たちが楽しめる場所、地域のお年寄りとのコミュニケーションや、地域のお年寄りがもっている技術を伝承、継承とまでいかなくても、実際に見ることが大事だと思って続けてきた。
しかし、高齢者との関係を深めていく中で、
家族以外だから出来る高齢者支援・高齢者から教わることがあること
が次第に見えてきた。
そして、高齢者の活躍する場づくりが、都市農村交流イベントにもつながって今に至る。
田舎に移住定住するには、本当にハードルが高く、移住定住にならなくても、関係人口づくりが大事であり、関係人口という立場から地域と密着に関係をもつことも今後増えてくる地域活性化の手法である。
しかし、富山県内では、関係人口について必要性を具体的に取り組んでいるのは、南砺市の南砺市民応援制度(2019年5月現在) のみである。
多くの行政では、関係人口を意識せず、何十年も続いている交流人口づくりで胡坐をかいている。
都市農村交流の原点 大長谷での炭焼き窯づくり 2011年夏 http://nagatan.info/?p=4599
関係人口を見据えた都市農村交流イベントを継続的に続けるときに意識しなければならないのは、都市住民と地域住民の微妙な距離感。
個々によってこの距離感は、異なって当然だが、県内の都市農村交流では、行政主体で、安価・品質やサービスの提供費用対効果をこだわならい場合が多く、関係人口に結びつけづらい。
今氷見市の里山では、私の行っている都市農村交流イベントの参加者が横ぐしとなって、
氷見市全体の中山間地域の関係人口、生産物の支援、応援者となり始めている。
このような関係人口の人々は、時には 農業のお手伝いをしてくれたり、 時には農産物を直接購入してくれたり し
いずれも農村にはありがたいことである。
行政主体の都市農村交流イベントが関係人口に結び付きにくい理由としては、2~3年任期で担当が交代され地域や事業を深掘り出来ない事、
行政職員の熱量が低く淡々と業務を事務的にこなすことしか考えいていないが増えてきている。
氷見市においても県においても、氷見市に移住して4年間の実績で私が取り組んでいる地域の中間支援役として高く評価してくれている職員も増えてきているが、行政職員、熱量が低く淡々と業務を事務的にこなしている場合も少なくない。
例えば、O事業担当者は、地域の人が不得手な書類申請を私が支援し同行して打ち合わせにいっても、3年経過した今でも部外者扱いされ、私とは目を見て話しをしてくれない残念な職員もいる。
その職員だけを悪くいうつもりはないが、そのような職員の場合、書類申請でも行政のもっている経験値やスキルがなく、「てにをは」や誤字脱字、見積書の信ぴょう性など細かいことばかりに目を向け、事業全体の総合的な知見をアドバイスされることは、出来ていない。
またそのような事業では、担当者の私見が強すぎて2年、3年継続して行う市民意識も低くなっている場合もある。
富山県内では、私が活動していた2017年50名以上の地域おこし協力隊が存在していた。多くの地域では、私のような存在の地域おこし協力隊の着任を希望していたが、行政職員や地域おこし協力隊員は、このような活動をあまり重要視せず、過疎地での地域おこし協力隊導入、希望者も激減している。
過疎地での地域おこし協力隊導入が激減している理由として、行政も地域おこし協力隊も、新規性や若者招致を意識しすぎ(若者しか入りづらい コスプレ、イベント、ボードゲーム、食事会)て、結果、地域の人々がしらけて自分たちが希望する地域おこし協力隊の形とのギャップを行政が埋めきることが出来ず、現在地域おこし協力隊の過疎地での地域からの要望が少なくなっているからである。
国・県・市に携わる議員さんも県・市町村長も中山間地域の活性化を掲げ、必要性を感じているのは理解できるが、それを運用する行政職員の熱量が低く、人づくりに関しては、何ら手段を講じず、箱物ばかりに目を向けているのが富山県の実態のように感じる。
島根県をはじめとするところでは、地域支援をサポートする外郭団体も存在し、人づくりが活発に行われている地域もある。箱物で税金を投与し一部既得権者だけが儲かる仕組みから、真の地域づくり、人財づくりを目指して欲しいし、富山県内、中山間地域で必死にあがらっている若者たちに支援出来る制度づくり、仕組みづくり、情報伝達の共有を考えて欲しい。
お年寄りは 国の宝
お年寄りが元気なうちに
未来の子供たちに
お年寄りの知恵を継承していける
地域づくりを目指していきたい