2016/11/18
美味しい柿とコーヒーを頂いた。
今日お話しするのは、私も今回の出来事が起こるまで、漠然としていて、理解出来なかったことだか、自家用車を持たない高齢者にとっては、深刻な問題であり、自分たちも歳をとった時に、どうしなければならないのかを打ちつけられたように感じるテーマだ。
田舎暮らしは、良いこともあれば、辛いこともある。 そして、個人の力では、どうしようもないこともある。 先日、勤務先の速川地区の池田食堂が定休日だったので、 街中の川村食堂へ その帰り道に、速川地区のおばあちゃんが、氷見市役所前のバス停で、待っている姿をみつけた。 私:「こんにちは、今から速川公民館まで向かいますが、乗りますか?」 と声掛け。 婆ちゃん:「助かるわ。バスに乗り遅れて、どうしようか、悩んでいたところなの」 そう言って、軽トラックの助手席に乗ってもらって、久しぶりの女性を乗せて速川までのドライブ 婆ちゃんの話しだと、乗り遅れたバスの次のバスが来るまでに3時間ほど待たなければならないらしい。 寒空の中、ベンチもなく、3時間は、若い人にも応える。 婆ちゃんが、街中に出たのは、大量のお薬を病院に行ってもらうため。平日の日中は、子供が仕事を休んで付きそうのは、なかなか難しい。
婆ちゃんを自宅前まで送迎し、降ろした後、 「ちょっと待っててね」 と言われ、缶コーヒー三本と柿を頂いた。ありがたいことである。 氷見市には、社会福祉協議会が運営するバスや協議会を立ち上げ独自のバスを運行させる地来もあるが、今回の速川地区では、社会福祉協議会のバス利用を婆ちゃんはしらかったと思われる。 私の住む仏生寺地区でも、ハトムギワゴンなるバスが運行しているようだ。 しかし、仏生寺地区の私の在所・脇之谷内での利用者数は、あまり無いらしい。【求める人に届く情報発信の仕方】
良い情報であっても、情報を知りたい人に届かなければ、意味がない。 今回は、高齢者の移動手段だったが、それ以外でも、意外と情報手段って、求める人に届かずに、発信され続けている。 発信する側は、WEB発信やチラシを配布すれば、知って欲しい人に届くと勘違いしている発信者もいるのが、辛い。それでいて、集客出来なくても、仲間内をむりやり集めたりして数合わせで行われ、一定の結果が出ているようなイベントも私の廻りでは、少なくない。人が集まらないことには、
主催者側の情報発信の仕組みに問題がある。
私自身は、大きなことは、まだまだ言えないが、かつて無名であった大長谷を富山県内で知っている人が増えるまで積み重ねた実績経験や、氷見市地域おこし協力隊として赴任してから、数々のイベントを募集人数に満たすために行ってきたその時々、情報を知って欲しい人に届くように努力しながら情報発信を行い成功してきた経験と実績がある。 もっと、発信者側には、受け手の立場になって、一辺倒な情報発信をせず、受け手が一番届くような情報発信を強く意識し、それに気付いて欲しい。